「創造的な人工知能」開発日誌

創造性を持った人工知能と、そのビジネス応用など。未来の人工知能についても考察。

機械学習と意識の関係とは:人工知能は意識を持つか?

機械学習さえあれば何でもできるというような意見は少し極端にせよ、機械学習が重要な要素技術であることは間違いありません。

 

一方で、人間をはじめとする賢い(といわれる)動物は意識を持っているようにみえます。意識が知能に対して何らかの役割を果たしていると考えるのは自然だと思われます。

 

では、意識と機械学習はどのような関係になるでしょうか。

 

機械学習関数近似機ですから、外界の入力を受け取って、入力源が何であるかを判断したり、行動を決めたり、将来を予測したりするために使うことができます。例えば入力が視覚情報で、ライオンが網膜に写っているとすれば、その入力にライオンが存在していることや(物体認識)、ライオンが襲ってくるかもしれないこと(予測)、その場からただちに逃げるべきであること(意思決定)は機械学習の得意技といえます。

 

意識が何のために存在しているかについては様々な説がありますが、有力な仮説のひとつに、意識は何かに注意を向けるためにある、というものがあります。ここでの注意は注目するくらいの意味です。いまあなたのそばを人が通り過ぎたとします。その人に注意を向けるか、それとも無視してこの文章を読み続けるかは意識が決めているということです。

 

であれば、機械学習によって実現された物体認識や意思決定するシステムへの入力をフィルタリングする存在といえます。目に写った全てのことについて熟考するのではなく、ライオンという危険な対象に注意を向け、いかなる行動をとるべきかを識別機に入力するわけです。

 

ただ、注意という機能を機械に組み込んだからといって、その機械が意識を持ったといえるかは別問題です。注意をどうやって実現するかの研究はいくつもなされていますから、注意という機能そのものを実現することは夢物語ではありません。素朴な例でいえば、音に反応するおもちゃは簡単に作れます。音のなるほうに注意を向けているわけですから、注意するという機能を持っていることになります。しかし、そんなおもちゃが意識を持っているとはあまり思えません。(確かめようがないですが)

 

こういった意識をめぐる問題は、いまだ哲学者が主役として活躍しているテーマです。心の哲学なんていわれます。工学的に(実際に作って)考える段階に達していないんです。

 

意識を持つことは、人工知能が人間に近い存在になるためには不可欠なものに思われますが、機械学習で実現できるのか、そもそも機械に意識をもたせられるのか、まだまだ解決まで時間がかかりそうなテーマのひとつです。