「創造的な人工知能」開発日誌

創造性を持った人工知能と、そのビジネス応用など。未来の人工知能についても考察。

人工知能はどんなカリスマになるか

建築家のザハ・ハディドさんが亡くなりました。報道によると死因は心臓発作とのこと。日本では新国立競技場のゴタゴタを通じて一般の方にも広く知られるようになりました。建築が専門の友人によると氏の建築は誰にも真似のできない斬新さがあり、カリスマと呼ぶにふさわしい存在だったそうです。

 

ザハ・ハディド氏は各国の有力者から強い支持があり、そのおかげで一般には困難といわれた建築物を多く残すことができたと言われています。単に能力があるだけではなく、人を強く惹きつける魅力があったのでしょう。カリスマと呼ばれる所以ですね。

 

では人工知能はカリスマ性を持つことができるでしょうか?そしてどんなカリスマになるのでしょうか。

 

まず最初に現れるカリスマ人工知能は、圧倒的な能力で人を虜にしてしまう存在でしょう。技術的には、既に将棋や囲碁は十分にカリスマになる資質があると思います。

 

AlphaGo(アルファ碁)は、プロでも思いもよらない手を指し、それで勝ってしまいました。奇想天外な手で人を魅了し、しかも勝ってしまう。マンガやドラマの主人公のようです。もし人間のプロと指し続け、今回のような圧倒的な差と驚きのある勝利を続けることができれば「カリスマ性」を備えるようになるでしょう。

技術的には十分にその可能性はあるでしょうから、どちらかというと問題は人間との対局を続けることができるか、ということになりそうです。

 

一方、能力では説明しきれないカリスマ性を持つ人工知能はどうでしょう。人間で言えば、必ずしも仕事ができるわけではなくても、なぜかこの人と一緒にいれば大丈夫と思える上司がたまにいます。人間性に由来したカリスマ性とでもいえるような。

そんな、"人間性"を人工知能を持つようになれば、人間と人工知能の差は大幅に縮まるでしょう。(なにせ"人間"性ですから)

 

前のエントリで「人工知能に感情移入できるか?」を考えました。人間性に由来したカリスマ性を持つ人工知能に対しては、当然のように感情移入はなされるでしょう。であれば、独立した"人格"を人工知能やロボットに認めたとも考えられます。

それどころか、カリスマ性を感じているわけですから、その人工知能の部下として働くことを求める人がいても何ら不思議はありません。人工知能のカバン持ちを人間がするわけですね。

 

こんな、人工知能のカバン持ちをする人たちのこと、どう思いますか。滑稽でしょうか。私はそう思いません。カリスマ性は理性的な判断を超えたものです。悪く言えば"盲信"です。そして現実の社会のかなりの部分は"盲信"でまわっています。カリスマ性に動かされるというのは理性ではなく感情的な隷従と揶揄されても反論しづらいです。

ですが、人間は人を適切に評価する手段を持っていないわけです。だからカリスマ性に頼ります。私はそんな現実的な人のあり方を肯定できると感じますし、同じように人工知能にカリスマ性を感じてカバン持ちをする人がいてもまったく不思議は無いと思います。

 

ザハ氏はその急な死で、彼女に魅了された多くの人達を悲しませました。もし人工知能に死があるなら、同じようにカリスマ人工知能もその死で世界中の人たちを悲しませることでしょう。