「創造的な人工知能」開発日誌

創造性を持った人工知能と、そのビジネス応用など。未来の人工知能についても考察。

モノの人工知能 AIoT とBMIであらゆる境界が溶け始める

私の研究プロジェクトのひとつは、IoTと呼ばれる分野で、あらゆるモノがインタネットにつながることで実現される技術をそこでは研究しています。しかし、AIoT、Artificial Intelligence of Things つまりモノの人工知能という発想はまだ聞きません。

(と、思ったらシャープがAIoTを掲げてました。電子レンジが喋るそうです・・・)

 

私は以前から居住空間のスマート化に関心があって近い将来に研究を始めたいと考えているのですが、これもAIoTのひとつだと思います。建築が人工知能になるということです。

 

さらに、BMI(ブレインマシンインターフェース:脳による機械の操作)で脳と人工知能がシームレスにつながったと考えてください。そうなると、身の回りのモノ、椅子でもカーテンでも掃除機でもなんでも良いですが、まるで自分の手足のように動かせるようになります。

AIoTであらゆるモノが知能化し、それらと自分がBMIで一体化する。そんな世界に生まれた子どもたちは、もはや自分とそれ以外の区別をあまり気にせず、世界が自分であり、自分が世界であるというなんだか禅問答のような感覚を自然と持つかもしれません。実に楽しみです。

あらゆるタイプの人工知能が溢れヒトはその中に埋没するかもしれない

人工知能について様々な可能性が議論されています。どこまで賢くなるのか、人間とそっくりな見た目や動きを実現できるか、意識をもつのか、自意識はあるのか、死の恐怖は、などなど。

 

もしこれらの全てが技術的に実現できたとしても、用途に合わせて選ばれることになると思います。例えば広告エージェントに自意識は不要です。(「ずっとXX社の宣伝をしている私の人生に意味はあるのか?」などと考えてほしくありませんから)

 

ですから、高度に人工知能の技術が発達した世界では、あらゆるタイプの人工知能に囲まれて生活することになります。

 

そこでは、人工知能のタイプに合わせて対応の仕方を微妙に変える必要があるでしょう。自意識を持たない人工知能にはいくら暴言を吐こうが向こうは気にしないでしょうが、人間のような繊細な心をもつ人工知能にはそうはいかないでしょう。

 

そんな中で、人間は、数ある人工知能のタイプのひとつに成り下がってしまうかもしれません。法制度上はそんなことは無くて、人間が特権的な地位(選挙権、被選挙権等)を有していてもです。人々の気持ちの上で、ということです。

 

ペットを飼っている人が、他人よりも自分のペットのほうが大切に感じるように、人であるからといって共感しあえるわけではないからです。

人格のコモディティ化は、シンギュラリティを超えた人工知能によってもたらされるか

昨日の投稿で、人格を持ったエージェント(人工知能)が組み込まれたデジタルサイネージについて書きました。

こんな具合にあらゆるところに人格と個性を持った自律型エージェントが存在している社会では、人格がコモディティ化してしまうかもしれません。

 

今でこそ、人格というものは(よく考えると曖昧な概念ですが)、個々人が持つとても貴重なものです。命の大切さと同等だと思われます。

 

しかし、人格を持つエージェントを機械的に生成できる時代になり、人格の偏在化が進めば、現代の我々が当たり前のように感じている「人格の貴重さ」が忘れられる時代になるかもしれません。

それまでに、人格とはそもそも何か、なぜ人格は命と同等に大切なのかという議論を深めておく必要があるかもしれません。

新型山手線に人工知能広告が搭載されたら

いま新型の山手線に乗っています。噂通り、デジタルサイネージが搭載されて、ちょっと落ち着きません。笑

これが、将来、対話型の人工知能になったらと思うと、少しゾッとします。マイノリティーリポートの広告のように語りかけてきて、しかも、人格や知能を兼ね備えているとしたら…。オプトアウト可能な仕組みになっていることを心底望みます。笑

人工知能にダビスタは作れない(今は)

ダビスタが大好きで本当に良く遊んでました。

そのダビスタの作者の薗部さんの対談記事がこちら。

この記事で作者の薗部さんが興味深いことを言っています。
なんとパラメーター調整は何度も開発中のレースを目で見て調整しているそうです。その理由は印象が大事だからなんだそうです。

現段階ではこの「印象」を人工知能が扱うことはかなり難しいです。
アルファ碁が局面の印象、厚いとかそういうのを理解してるようにみえて驚かれてましたね。
絵や音楽の良し悪しも印象論なわけで、これを機械的に評価するのはなかなかできない。

ダビスタのあの手に汗握るレースシーンは人間だからこそなしうる印象論からなる匠の技なのですね。

人工知能を専門家に仕立てあげるには意識が必要かもしれない

研究者の端くれとして生きていると、「この人は頭がいいなあ、うらやましい」と思うことがよくあります。そういった人は周囲から専門家としてみなされ、その能力を武器にバリバリと働いています。頭が良いというのはとても曖昧な概念なので、具体的に例をあげてみます。

  • 自分の専門領域の最新の成果についてよく知っており、それぞれの成果について要点をついてわかりやすく説明してくれる。
  • プログラムのバグをたちどころに見つけてしまう。プログラミングの世界大会に出場して上位に食い込んだことがある。
  • まったく気づいていなかった面白い問題を提示し、しかも鮮やかに問いてしまう。ロボットの国際会議で見た、背中につけたロボットアームを口や歯で操作して3本目の腕として使う研究はそう感じた。
  • 問題が与えられた時、その問題の本質だけを取り出した抽象的な問題をいくつも設定し、それぞれについて複数の解法を着想できる。

人間の場合、どれか1つでもできる人は「頭の良い人」となり、これら全てを兼ね備えた人は10年に1人しか生まれないようなレアな人材になるような気がします。

 

一方、機械的にこれらの機能を実現できてしまえば、すべてを兼ね備えた人工知能が構成できるように思われます。

そこで問題になるのは、それらの機能を選択することです。まったく新しい問題や指針を得たいのか、既にある問題の置き換えをしたいのか、それによって使う脳ミソが違います。

意識の機能として、注意に加えて「選択」があるという説がありますが、高度な機能を複数組み込んだ人工知能には、意識を持たせることが必須になるのかもしれません。

マルクスになった人工知能

若手の研究者たちで集まって食事をしていたのですが、そのときに「数十年前は日本の経済学者の過半数はマルクスの研究者だった」ということを教えてもらいました。

分野を問わず、特定の誰かの研究に過半数の研究者が従事しているというのは稀なことのはずで、とても驚きました。

(一時期、ドイツの哲学教授がヘーゲルの弟子で占められたことがあったそうですが、日本におけるマルクスが、ドイツでのヘーゲルに匹敵する影響力があったということかもしれません)

マルクスの話には、「外国の研究者が、それだけ日本でマルクスが影響力が強いのに、なぜ革命が起きないだと不思議がった」というオチがつきます。

それほどにマルクスが偉大なのか、よくわからなかったので聞いてみたところ、彼の著作は人を熱狂させるんだそうですね。"大きな物語"という言葉で揶揄されるようですが、歴史がは必ず革命につながり、その後にユートピアが出現する、そしてまさに今が革命のために立ち上がるときだ、という。

当時は、現代人以上に労働に疲れ、しかし時代は良い方向に変化し続けるのだという素朴な信念をもてる時代だったのかもしれません。

いわゆるビッグデータ活用で、人々のニーズへの敏感さや同時代的な感性を人工知能が持つようになってきています。これはマルクスの著作のように影響力のある著作を人工知能が書ける可能性を示唆していると思います。

「マルクス2世」などというセンスのないペンネームを持った正体不明の著者が書いた本が爆発的にヒットして人々の思想に強い影響力を持ち、ついには人工知能が人を支配する革命につながる・・・。このような未来がくることはまったくの絵空事とは思えません。