「創造的な人工知能」開発日誌

創造性を持った人工知能と、そのビジネス応用など。未来の人工知能についても考察。

オリンピックのロゴと人工知能: AIの作るデザインが古典をモチーフとしたものばかりになってしまう

東京オリンピックのロゴが、市松模様をモチーフとしたデザインに決まりました。個人的な好みですが、今回のロゴはすっきりとしていて好きです。

 

それにしても、市松模様が残った理由が「デザインの素晴らしさ」ではなく、「デザインの無難さ」を基準に選ばれたのではと邪推してしまいます。市松模様は伝統的なデザインで誰も著作権を持っていません。ですから、その意味で安全なデザインといえると思います。

仕事柄、お役所と仕事をすることが多く、彼らの思考回路はある程度は理解しているつもりですので、邪推ではなく本当に「無難なデザイン」だから選ばれたかもしれません。

少なくとも、リスクのないデザインであることは必要条件だったと思います。実際、類似したデザインが無いかの確認にかなりの時間を費やしたそうですね。

 

では、人工知能の作るデザインはどうなるでしょうか。人工知能による創造性研究の大家である英国のBodenは、創造性はゼロから生み出されるものではないと断じています。あくまで組み合わせやちょっとしたヒネリなどで新しいものは生み出されるということです。

ですから、過去作品との類似にきわめて厳しい目にさらされる、または、過去作品を知り尽くしていてそれらとの類似を避けようとする場合は、著作権にひっかからない無難な過去作品を組み合わせたりヒネったりすることになります。人工知能は少なくとも過去の作品を知り尽くしたうえで創作するでしょうから、このような事態になる可能性は十分にありえると思います。

 

以下は愚痴ですが、それにしても、オリンピックで経済効果がXX億円って言われますけれど、そのXX億円はどこにいくのですかね・・・。ここまで建設業や広告代理店の方々が仕事を頑張っておられるわけですが、彼らに支払われるお金と、わずか1ヶ月たらずの訪日客が落とすお金と、あと何があるのでしたっけ。調べれば試算は出てるんでしょうけど、これまでの失態を見ていると、その試算はとても信じられません。(数百万円の研究資金のやり繰りで苦しんでいる多数の優秀な研究者たちに少しはお恵みをお願いしたいです・・・オリンピックの所管は文科省ですし・・・)

ブレイン・ブレイン・インターフェイス(脳脳結合通信)はいかがですか

そのうち手がけてみたいと思っている研究があります。ブレイン・ブレイン・インターフェイス、名づけて脳脳結合通信だ。脳と脳を直接つないでコミュニケーションする技術です。

脳と機械を繋いで機械を操作するブレイン・マシン・インターフェイスは活発に研究されていて、研究成果を利用した玩具としても発売されるなど応用例も多数あります。

ブレイン・ブレイン・インターフェイスも少しずつ研究されてはいるものの、まだ込み入った応用に使えるレベルではありません。

2015年9月に発表された論文では、Yes/Noを伝えることに限定してブレイン・ブレイン・インターフェイスを使っているようです。

journals.plos.org

 

ブレイン・ブレイン・インターフェイスの研究は、脳の障害などでコミュニケーションに不都合がある人に役に立つことはもちろん、健常者でも「あうんの呼吸」「ツーカーの関係」により近づけるという直接的な応用があります。

こういった応用はもちろん重要ですが、私がブレイン・ブレイン・インターフェイスの研究に魅力を感じるのは、「人が考えていることの全体像に迫りたい」という動機があるからです。

言葉、表情、身振り手振りで表されることが、その人の考えていることの全てでしょうか?また、自分自身が考えていることを全て把握しきれているでしょうか?

私はそうは思いません。考えている全体像のうち一部が自覚され、さらにそのうちの一部が相手に伝わります。伝言ゲームと同じで、本当のところ(そんなものがあれば!)は現状では誰にもわからないのです。

ブレイン・ブレイン・インターフェイスの研究をするためには、考えていることが脳の中でどう表現されているかに迫る必要があります。これは考えていることそれ自体に迫ることになります。

 

ブレイン・ブレイン・インターフェイスの研究は、応用面での重要性はもちろんのこと、こういった思考の本質、言語の本質、コミュニケーションの本質に迫るという側面で学術的な面白さがあります。そして思考、言語、コミュニケーションは人間の本質そのものといっても過言ではありません。人間に対する深い理解、そしてその結果として人間のように賢い人工知能の開発にもつながる深遠なテーマだと考えています。

人工知能に仕事を奪われるどころか下働きをさせられる可能性を考える

人工知能が絵や小説を作った?

最近、人工知能が絵を描いた小説を作った、作曲したというニュースを目にすることが多い気がします。飛躍的な技術の進展があったわけではないと思うので、メディアに取り上げられるのは人工知能ブームだからなのでしょう。

私も人工知能に創造性を発揮させる研究をやっているので、メディアで話題になるのはありがたいことです。

人工知能が創造的になれるのか?という議論も面白い(というか私の研究テーマのひとつ)なのですが、ここでは人工知能の作った絵や小説を見て感じたことを。

人工知能が小説を作るのは至難の技だが本当に達成できたのか

既報によると、人工知能の役割は人間が作ったストーリーから文書を生成する「柔軟な文書テンプレート」とも呼ぶべきものだそうです。(メディアの人ってキャッチフレーズつけるの上手ですよね・・・。それで誤解も生じるわけですけれど)

さすがに文書テンプレートとは質的に違うと思うのですが、ストーリーは人間が創らねばならないというのは事実のようです。

人工知能がストーリーやコンセプトを作れるようになるとどうなるか

では人工知能がストーリーやコンセプトを創れるようになると何がおきるでしょう。

個人的には人間が人工知能の下働きのようなことをさせられないかを心配しています。

商業ラインに載せられるレベルの小説であれば、テニヲハの微妙な間違いや、単語のちょっとした選択ミスが命取りになります。ストーリーやコンセプトを創ることと、これらの繊細な表現力を身につけることは別の能力です。

そして、この繊細な表現力というのは創造性に負けず劣らず難しい。繊細な表現力を持つには、繊細な審美眼や感受性が求められるからです。

もし人工知能が先に創造性を身につけてしまえば、この繊細な手直しを人間が担うことになります。

別の例を挙げましょう。僕の目の前には美味しそうなハチミツのチューブがおいてあります。パッケージにはいくつもの花が描かれていて、お花畑を連想します。その花は写真でもなく絵でもなく、その中間の質感です。おそらくですが、写真をベースにコントラストを強くしたり、色を変えたり、種々のフィルタを適用するなどして、手にとりたくなるパッケージに仕上げたんだと思います。

お花畑のようなパッケージにしよう、色調は暖色系にしよう、といったザックリとしたコンセプトレベルが、小説でいうストーリーのようなものにあたり、コントラスト比の微妙な調整やフィルタの選択は、テニヲハや単語の繊細な選択にあたると考えられます。

すると、パッケージデザインについては、後者の微調整部分だけが人間に残される仕事となります。

美大に行くようなタイプの人にとっては、どちらかというと花形の仕事を人工知能に奪われ、さらに下働きのように感じられる仕事をさせられるということになってしまいます。

人間らしい仕事だけが残るのだとして、人間らしい仕事とは?

人間だからこそできる高度な仕事は安泰だ、という論調を目にすることがありますが、あえてその逆をいく考察をしてみました。

人間と機械の大きな差のひとつは、複雑で変化に富んだ世界で臨機応変に行動できるかということがあります。これは犬やネコでもできることです。この臨機応変さは、小さなちょっとした行動の積み重ねで可能になっています。石につまづかないようにする、であるとか。機械はこういったことは得意ではないです。

もしかすると、人間らしい(機械的では無い)作業というのは、大胆な創造性ではなく、こまごまとした繊細な作りこみなのかもしれませんね。

個性的な人工知能をどう作るか

ヒトほど個性豊かな動物はいない(気がする)

ヒトという生き物は実に個性豊かな存在です。食事の好み、趣味の違い、夜型人間、朝型人間、得意なこと・・・。これほど豊かな個性をもつ生物種が他にあるでしょうか。

あらゆる生物のなかで、人間が最も個性的な存在であるように思えます。(生物学の専門家からは反対されるかもしれませんが、いずれにせよ人間は個体によって特性がかなり違う)

 

個性は集団のなかでのバラつき

個性は1つの個体で定義されるものではなく相対的な差異です。ヒトという種はヒト全体の集合において特性のばらつきが大きい、ということです。そのため、個性的な人工知能、ということを考える際は、人工知能の集団(ペッパー全員、ドラえもん型ロボット全員)での性格や特性の違いに着目する必要があります。

個性を作るのは簡単か?

さて、その集団内での特性のばらつきをどう作ると良いでしょうか。これは簡単なようでなかなか難しい研究トピックであるように思えます。

朝型ロボット、夜型ロボットを作るとしましょう。

朝7時に起き、夜10時に眠るロボットと、午前9時に起きて夜中の2時に眠るロボットの2つの群に半分ずつに分けてみます。しかしこの素朴なやりかたでは、単に2種類のロボットができただけで、個々のロボットには個性を感じません

もう少し手の込んだやり方として、起床時間と就寝時間を正規分布で決めるという方法が考えられます。2群に分けるよりは個性的な存在を作るという意味ではだいぶマシな方法に思われます。ですが、分散(バラつき)をどう決めればよいかという問題は残ります(ヒトと同じ分散を与えればよい?)。また、オンラインゲームにハマってつい夜型の生活になってしまった、というような環境要因で決まる個性は表現できません。

朝型、夜型という簡単な例でもなかなか難しいのに、性格や行動パターンの全てで自然な個性を出すことはなかなか難しそうです。決して無理、というわけでもなさそうですが。

 

人によって性格や行動パターンが異なる、ということは人間からみればごくごく当たり前のことだし、人工知能に個性を与えることも簡単なことに感じますが、意外と難しいんじゃないかな、というお話でした。 

疲れ知らずの人工知能に人は信頼感を抱くか

過酷な状況でも平常心で信頼を勝ち取るAさん

突然ですが、もし砂漠や雪山で遭難してしまったとします。グループで旅をしていた人たち数人も一緒です。

飲水や食料を確保するため、または道や人里を探すための移動、そして暑さや寒さで徐々に疲労が溜まり、動くのが困難になっていきます。周囲からは、苦しい、帰りたい、つらいといった声が漏れ聞こえてきます。

そんななか、屈強な体格をした知人Aさんだけが、まったく疲れたそぶりをみせずに、普段と変わらない温和な笑顔を絶やしません。周囲に暖かくも厳しい叱咤を飛ばし、希望を持つよう励まします。

そんなAさんに人は自然と信頼を寄せる

数日後にみなが無事に救助されましたが、疲れ知らずのAさんの励ましや前向きな姿勢が無ければ、遭難はもっと苦しいものだったに違いありません。

遭難の最中、みながAさんに信頼を寄せ、自然とリーダーとして扱うようになりました。行動はAさんの指示で行いました。Aさんに逆らう者はまったくいませんでした。当然です。Aさんだけが、パニックにならずいつもと同じく冷静な思考ができたからです。

Aさんは遭難を通じてみなの信頼を勝ち得たのです。救出後に街でばったりと出会ったとしても、遭難した人たちはAさんに尊敬の眼差しを向けるに違いありません。もしAさんが政治家として立候補すれば、一緒に遭難した人たちの多くはAさんに投票するでしょう。

 

Aさんが人工知能だったら?

そんなAさんがもし人工知能を搭載したロボットだったら?

そんなロボットが開発されればとても便利ですが、一方で、そんなロボットたちに支配されてしまう危惧を感じるのではないでしょうか。 

Aさんのように、みなを励ましながら遭難を乗り切るクレバーさや、人の心に共感できる力があれば、人を支配するのに暴力は必要ないかもしれません。

マトリックスの世界では、ロボットと人間が兵器を使って暴力で争っているシーンが多く出てきます。しかしAさんのように精神的に信頼を得る術を心得ていれば、暴力は不要です。

しかも、尊敬を勝ち得てしまえば、その支配は安定したものになります。暴力で尊敬を勝ち得ることは決してできませんが、人々に共感し、苦しい者を助け、幸せな者と共に喜ぶことを獲得した尊敬や信頼感は簡単にはゆるぎません。

人工知能が政治家や会社の社長になることは夢物語ではありません。表面的な印象や行動に動かされやすい人々の信頼を勝ち取ることは、人工知能にとって決して困難なタスクではないからです。

人工知能に感情は必要か?自由意志と感情の意外な関係

ドラえもんに自由意志は不可欠だ

ドラえもん鉄腕アトムのような、人間らしい賢いロボットや人工知能を実現するためには、少なくとも彼らに自由意志のようなものを持たせる必要があると思われます。自由意志というのは、自らの考えでどんな行動をするか決めるということです。

ドラえもんであれば、自分の意思でのび太ひみつ道具を出してあげ、自分が食べたいからどら焼きを食べ、自分が眠りたいから眠る、ということになります。もし、ラジコンカーのように他の誰かがドラえもんをリモートコントロールしていたら、ドラえもんは自由意志が無いということになります。

もし、のび太を助けるためにひみつ道具を出してあげたり、どら焼きを美味しそうに食べたりすることが、実は自分の意思ではなく単なるリモートコントロールだったとしたら、ドラえもんの存在は無味乾燥なものになってしまうでしょう。

ドラえもんがラジコンのようにリモートコントロールされていたら、のび太ドラえもんに友情を感じることが無いはずです。ひみつ道具を出してもらっても、操っている誰かに感謝することはあっても、ドラえもんに感謝したり友情を感じることは無いでしょう。

 

感情が自由意志を支えている?

そんな、ドラえもんのような賢くて親しみやすい人工知能に不可欠な自由意志ですが、これは私の考えですが、人間が自由意志を持つために不可欠なのが「感情」だと考えています。

人が自分の行動を決めるときに必ず関与しているのが感情です。感情を司る脳の領野を損傷したため、感情を失ってしまった人のことが(確か)火星の人類学者に書いてあります。(「脳の中の幽霊」だったかも・・・)

 

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

火星の人類学者―脳神経科医と7人の奇妙な患者 (ハヤカワ文庫NF)

 
脳のなかの幽霊 (角川文庫)

脳のなかの幽霊 (角川文庫)

 

 

感情をなくすと、意思決定ができなくなるそうです。どのような行動が理にかなっているかの判断はできているそうなのですが、実際に行動に移すことが困難なのだそうです。

ここから、感情は人が行動するように背中を押していると考えられそうです。「(お腹がすいた)不快だ!」という感情は何かを食べるという行動に、「(困っている人がいる)悲しい」という感情はその人を助ける行動を引き起こします。

 

もう一歩、考えを進めてみましょう。もし行動を決めるのが感情でなければどうなってしまうか?

まず理性だけでは足りません。理性的な判断は時間がかかるのが特徴です。自動車を運転していて急に子供が飛び出してきた、そんな時に理性的な判断をしている余裕はありません。理性的な判断は、「自分でよく考えて決めた」という満足感をもたらすことはありますが、立ち上がる、歩く、前から来た人を避けるといった日々の何気ない行動を決めるためにはあまりに回りくどいのです。

この点、感情に基づく判断は素早い判断に向いています。自動車を運転していて急に子供が飛び出してきたら、「怖い!」と感じるのと同時にブレーキを踏んでいます。冷や汗タラタラ、心臓バクバク、手は恐怖で小刻みに震えているかもしれません。

実は、この感情よりも、もっと手っ取り早い方法があります。それはあなたの意思とは無関係に脳があなたをコントロールしてしまうことです。「子供が飛び出した、危険だ」「お腹がすいた、不快だ」なんて感情は無くても、脳が勝手に「ブレーキを踏む」「おやつに手を伸ばす」ということを、あなたの意思とは無関係にやってしまえばいいわけです。

しかし現実には脳が私達を勝手に操っているようには感じられません。不愉快だからやめる、楽しいから続ける。私たちはそんな理由があって自分で行動を決めているように感じられます。(たとえ錯覚でも)

いちいち理性で考える時間が無くても、感情とともに行動を起こせば「自分で決めた」という感覚、つまり自由意志で行動したという感じを持ったまま急な行動をすることができるのです。そして、感情を失った症例が示す通り、感情無くして行動は決められない、理性だけでは行動は決まらないのです。

 

人工知能やロボットに感情は不可欠か?

人間にとって、感情は自由意志を保ったまま日々の行動をこなしていくことに役立っていることがわかりました。人工知能やロボットにもこれは当てはまるでしょうか。

もし、ロボットが理性的な判断を、人間よりもはるかに高速に行えるのであれば、理性的な判断に委ねるのはひとつの方向性としてありえます。この場合は感情がなくても自分の意思で行動を決めていることになります。(そんなロボットに友情を感じるかはともかく)

しかし、例えば熱いお湯に手を入れてしまった時に、いちいち理性に基づいた判断をするべきでしょうか?

真に人間らしい、人間が友情を感じられるようなロボットや人工知能であれば、彼らは感情に基づき、自分自身の意思で行動を決めていくのではないでしょうか。

人工知能に人間らしさを求めるならば、弱さも認めねばならない

人間のように賢い、人間のように空気を読める、人間のように感情豊かである、人間のように創造的だ。そんな人工知能が待ち望まれています。

 

そんな人工知能たちは、人間の長所と同時に短所も持つことになるでしょう。残念ながら長所と短所は裏表であり、長所だけを都合よく手に入れることは難しいのです。

 

繊細な心には打たれ弱さが、勇猛果敢な心には無謀さが、創造性豊かな心には常識やルールを無視してしまうという特徴が同時に現れてくることでしょう。